ヤスパース協会略年表
●
1950年
12月 ヤスパース協会設立準備会、京橋メトロホテル、出席者:金子武蔵(理事長予定)、樺俊雄・鬼頭英一・草薙正夫・鈴木三郎・橋本文夫・武藤光朗(理事予定)、井上智行(書記予定)
● 1951年
2月 第1回総会(発会式)、岸体育館、務台理作(顧問)と金子理事長の記念講演
6月 安倍能成氏と草薙理事による公開講演会、東大37番教室9月 機関誌『実存』創刊号発行
12月『実存』2号
● 1952年
6月 『実存』3号 6月 辰野隆氏・シンチンゲル氏による公開講演会、朝日講堂
● 1953年
3月 『実存』4号(「ヤスパース教授生誕70年記念」)
6月 中村光夫氏・務台顧問による公開講演会、朝日講堂
● 1954年
4月 『実存』5号(「近代批判の系譜」)
9月 「実存主義研究会」設立(「ヤスパース協会と併存しつつ設立〔金子理事長〕されたもので、『実存』は両協会の「共通機関誌」〔飯島編集長〕とされたが、6〜9号が「実存主義研究会発行」とされたように、実質的には「実存主義研究会」としての活動になる)
● 1957年
2月 「実存主義研究会」は「実存主義協会」へと発展的解消(ヤスパース協会はその中で形式的に存続しはしたが、機関誌―10号から『実存主義』―の発行や講演会・研究会開催などの実質的活動は専ら「実存主義協会」が行うことになる)
● 1963年
バーゼルで開かれたヤスパースの「生誕80年祝典」に草薙・橋本理事が出席、ヤスパース協会からの記念品を贈呈。同年刊行の”Karl
Jaspers/Werk und Wirkung”に橋本理事が”Die
Philosophie von Karl Jaspers in Japan”を寄稿、ヤスパース協会の活動を紹介
● 1968年
10月 重病のヤスパースへの見舞い状と見舞いの花を「日本ヤスパース協会」から届ける。―翌年の『実存主義』46号の「ヤスパ−ス協会報告」(吉沢編集長)で、見舞いの邦文と独文(本協会名は”Jaspers
Gesellschaft in Japan”)を付して報告
● 1974年
5月 G.ヤスパース・マイヤー夫人の逝去の報が「ヤスパース協会・橋本文夫」宛てに届き、「ヤスパース協会(東京)」名で弔詞を打電
● 1982年
この頃ヤスパース生誕100年の記念行事への参加の要請・招待が、R.ヴィッサー氏等から上妻(実存主義協会幹事長)・草薙・川原理事・福井氏等に届き、鈴木理事を中心に対応を検討
● 1983年
6月 バーゼルとハイデルベルクで「ヤスパース生誕100年記念シンポジウム」開催、鈴木・林田理事と福井・宮坂氏が参加、鈴木理事の「日本におけるヤスパース全著作の翻訳書並びに研究書の総目録」配布 8月 モントリオールで「第1回国際ヤスパース会議」開催(世界哲学会議―哲学諸学会国際連合FISP主催―の枠内での開催、以下第4回まで同じ)、日本ヤスパース協会を代表して吉沢理事が出席、「日本におけるヤスパース受容」を報告
● 1984年
3月 鈴木理事の呼びかけでヤスパース協会理事会(74年の実存主義協会理事長の交代の後も、本協会は金子理事長)開催、学士会館別館。引き続き第1回ヤスパース協会総会開催、鈴木理事長・金子・草薙顧問等の人事と規約や事務所(鈴木理事長宅)等決定
9月 日本ヤスパース協会東北支部(支部長斉藤理事)創立、10月に第1回総会・講演会。以後91年まで毎年総会・講演会を開催
10月 『コムニカチオン』創刊号(編集作業等は専ら鈴木理事長―第7号まで)11月 日本ヤスパース協会第1回大会、早大・文・34−151(34号館151番教室の略、以下同様)、講演:林田理事、シンポ「哲学的信仰とは何か」:鈴木理事長、草薙・斉藤・渡邊・峰島理事と沼田隆氏
● 1985年
3月 第2回総会、学士会館別館 (7月 実存主義協会は「実存思想協会」に改組)
11月『コムニカチオン』2号
12月 第2回大会
● 1986年
11月 『コムニカチオン』3号
12月 第3回大会
● 1987年
11月 『コムニカチオン』4号
12月 第4回大会
● 1988年 “Karl Jaspers
Today”(第1回国際ヤスパース会議論集)刊行
8月 「第2回国際ヤスパース会議」(北米・墺の協会とヤスパース財団と本協会との共催、L.H.Ehrlich・R.Wisser氏中心の企画、本協会からは鈴木理事長が名誉議長、福井理事が
企画委員)、ブライトン、福井・吉沢・林田理事が研究発表
12月 第5回大会
同月 事務所を鈴木理事長宅から早大哲学専修室に移転(佐藤委員が幹事長役)
● 1989年
1月 『コムニカチオン』5号
11月 「ヤスパース没後20年記念・国際ヤスパース会議」(墺協会等主催)、グラーツ、福井委員講演
12月 第6回大会
● 1990年
3月 『コムニカチオン』6号
12月 第7回大会
● 1991年
12月 第8回(創立40周年)大会
● 1992年
11月 『コムニカチオン』7号
12月 第9回大会
● 1993年
“Karl Jaspers/Philosopher among Philosophers”(Eds.R.Wisser,L.H.Ehrlich―第2回国際ヤスパース会議論集)刊行
8月 「第3回国際ヤスパース会議」(共催4団体とChief
Organizerは前回と同一、本協会からは鈴木理事長と福井理事が企画委員)、モスクワ、福井・羽入理事と増淵氏が研究発表
12月 第10回大会
● 1994年
9月 国際会議「カール・ヤスパースの教育哲学」、墺・グラーツ、増淵理事(講演)・羽入理事と今本委員(研究発表)など会員7名が参加
10月『コムニカチオン』の隔年刊行を決定
12月 第11回大会
● 1995年
1月 『コムニカチオン』8号 (この号から編集作業等は佐藤理事中心の事務局)
4月 鈴木理事長退いて名誉会長、新理事長は林田
10月 「日独共同国際シンポジウム」(増淵理事を中心に企画され、東北大哲学研究室・早大哲学専修室等の共催、本協会が後援)、仙台と早大、林田理事長・増淵・佐藤・羽入・峰島理事が講演
12月 第12回大会
● 1996年
12月 第13回大会
● 1997年
3月 『コムニカチオン』9号 (この号から編集長 羽入理事)
12月 第14回大会
● 1998年
“Karl Jaspers/On the Way to World Philosophy”(Eds.R.Wisser, L.H.Ehrlich―第3回国際ヤスパース会議論集)刊行
8月 「第4回国際ヤスパース会議」(共催4団体とChief
Organizerは前回と同一、本協会からは羽入理事が企画委員)、ボストン、羽入理事・中山・原・平野・今本委員と深谷氏が研究発表、林田理事長・渡邊理事(FISP委員)等も参加
12月 第15回大会
● 1999年
3月 『コムニカチオン』10号(記念号)
4月 ヤスパース協会の国際組織結成(前年の国際会議の際、R.Wisser,L.H.Ehrlich氏を中心に共催4団体の代表で相談されていたこと)に関する意向打診に対して、本協会は趣旨に賛同する旨を回答(理事会決定)
12月 第16回大会
● 2000年
4月 理事会で「ヤスパース協会国際連盟International Association of Jaspers Societies(IAJS)」の”Charter
and Constitution”を一部修正して承認
9月 「国際ヤスパースシンポジウム」(墺協会とヤスパース財団の共催)、エルザス、羽入理事講演 12月 『コムニカチオン』11号(「創立50周年記念号」で、記念特集と既刊(1〜10号)合本とを一体化したもの)
12月 第17回大会
● 2001年
2月 「ヤスパース協会国際連盟IAJS」発足(本協会からは代表者会員に林田理事長、理事会役員に羽入理事)
11月 「第5回国際ヤスパース会議」の第1回通知書を会員と関係機関に送付
12月 第18回(創立50周年)大会
● 2002年
12月 第19回大会
● 2003年
12月 第20回大会
● 2004年
12月 第21回大会
● 2005年
12月 第22回大会
● 2006年
12月 第23回大会
● 2007年
12月 公式ホームページ開設
第24回大会
● 2008年
8月 「第6回国際ヤスパース会議」、韓国/ソウル、福井・羽入・原・中山・平野・深谷・堤・中島・高橋理事、和田・今井会員の、計11人が研究発表を行った。
12月 第25回大会
● 2009年
4月 林田理事長退任、新たに羽入佐和子理事が理事長就任。
12月 第26回大会
● 2010年
12月 第27回大会
● 2011年
12月 第28回大会
● 2012年
12月 第29回大会
● 2013年
8月 「第7回国際ヤスパース会議」
12月 第30回大会
● 2014年
12月 第31回大会
● 2015年
7月 羽入理事長退任、新たに中山理事が理事長就任。
10月 ハイデガー研究会共催 シンポジウム「ハイデガーと現代哲学の始まり」
12月 第32回大会
● 2016年
12月 第33回大会
● 2017年
12月 第34回大会
● 2018年
12月 第35回大会
● 2019年
12月 第36回大会
● 2020年
12月 第37回大会(中止)
● 2021年
12月 第37回大会(オンライン開催)
● 2022年
11月 林田新二元理事長10日逝去(享年93歳)
12月 第38回大会(オンライン開催)
● 2023年
12月 第39回大会(オンライン開催)